November 27, 2010
[小説]Aurora syndrome 7/漆
「貴方……」
どうして、と思うのと同時に、やはり、と感嘆の息を零す。
彼とは顔見知りの関係にあった。安里より頭一つ分以上ある背丈。赤髪に長身痩躯。いつもの黒い戦闘服は街中の所為かスーツに着替えられている。
親愛なる混沌魔王の懐刀。
彼が腕を引いたことで、やっと携帯電話が一歩退いた。どちらも汗ひとつ滲ませていない。安里の端末は生身の人間ではないので当たり前といえば当たり前だけれど。
「このような出迎え方で申し訳ありません。しかしまさか、彼が私の腕を止め得るとは思いませんでした」
男は安里に対して丁寧に頭を下げる。それからやや驚きを隠せない微笑で両者を見比べた。
「防犯モードなの」
安里がふわりと破顔する。自慢の携帯端末と言わんばかりだった。いくらか悪戯っぽい表情を浮かべている。その言葉の先を相方が繋ぐ。
「護身が目的ですので、相手側からの攻撃がない限り押し返すことも出来ませんが」
その口ぶりが些か嬉しそうに聞こえて、おや、と考えを巡らせる。
「それで、八魔将の筆頭さんがどうしてここに? 私の友人からの伝言なら、私のところに直接来ればいいのに」
「残念ながら今回は任務ではないのです。篠宮嬢」
微苦笑に気付かぬ振りをして、安里が更に微笑を強かにする。勿論、どれをとっても言葉遊びだ。客人がこの部屋を訪れる理由も、言葉を濁す理由も、安里は理解している。
「じゃあ、あなた方も嗅ぎつけたってところかしらね。あの子のこと」
彼らしくも無く当惑する気配を隠しきれない男を、脇へ押し遣るようにしてドアを潜った。室内灯が白く眩しく、薄曇の空が正面の硝子サッシから窺える。僅かな太陽光を遮るカーテンはない。引越したばかりで手間を惜しんだ、というわけではなさそうだ。影を作るものがなければ、室内に他に影はない。それもまた、奇妙な点のひとつだった。
部屋はもぬけの殻だった。ベッドもテレビも、台所のフライパンに至るまで何一つ残っていない。かといって床に埃が積もっている訳でもなく、誰かが意図的に生活に必要なものを全て取り払ったように思えた。でなければ、まるですべて掻き消えてしまったような。
「唯一これが部屋に」
差し出されたのはSDカードが一枚。表面のラベルは剥がされたらしく、容量もメーカー名も書かれていない。
「中は確かめた?」
「いえ」
「安里さま」
呼び声に反応して振り向けば、携帯端末は今だ玄関に居た。ドアの直ぐ脇、郵便物を溜め込む為に付けた用のポッドを覗き込んでいる。さすがに来客の男はそこまでは確認していなかったらしい。
安里は無言のまま携帯端末の元へ歩み寄った。彼が見つけたのは、腕時計だった。ベルトの代わりに天然石をあしらったブレスレットチェーン。持ち上げれば装飾された石がきらりと光る。安里が左腕に着けているものと同型だった。
「……アサトのだね」
お揃いの、安里からの贈り物の時計。アサトがいつも身に着けていた時計だ。文字盤の上には薄く亀裂が入っており、今は短針すら動いていない。
それを左手に握りこんだまま、男から渡されたSDカードを手動式端末に差し込んでみる。自動でフォルダが形成され、中に唯一あったコンテンツの拡張子は音声ファイルを示している。
三人が見守る中、ファイルが起動される。内臓の音楽プレーヤーが再生ボタンに合わせられる。
僅か数十秒のファイルには、たった一言。
『好きだよ、あさと。いつまでも』
誰もが息を詰めた。一人が強く拳を握り、一人は反対に力を抜いた。もう一人は、何かを見出そうと目を細めている。
聞き覚えある少女の声だった。聞き間違える筈もない。それは間違いなくこの部屋の主であり三人が尋ねてきた相手、もしくは彼女の分身となるもの。鴇田朝斗本人の声に他ならなかった。
言葉はまるで、一生涯の想いを告げるように。
どうして、と思うのと同時に、やはり、と感嘆の息を零す。
彼とは顔見知りの関係にあった。安里より頭一つ分以上ある背丈。赤髪に長身痩躯。いつもの黒い戦闘服は街中の所為かスーツに着替えられている。
親愛なる混沌魔王の懐刀。
彼が腕を引いたことで、やっと携帯電話が一歩退いた。どちらも汗ひとつ滲ませていない。安里の端末は生身の人間ではないので当たり前といえば当たり前だけれど。
「このような出迎え方で申し訳ありません。しかしまさか、彼が私の腕を止め得るとは思いませんでした」
男は安里に対して丁寧に頭を下げる。それからやや驚きを隠せない微笑で両者を見比べた。
「防犯モードなの」
安里がふわりと破顔する。自慢の携帯端末と言わんばかりだった。いくらか悪戯っぽい表情を浮かべている。その言葉の先を相方が繋ぐ。
「護身が目的ですので、相手側からの攻撃がない限り押し返すことも出来ませんが」
その口ぶりが些か嬉しそうに聞こえて、おや、と考えを巡らせる。
「それで、八魔将の筆頭さんがどうしてここに? 私の友人からの伝言なら、私のところに直接来ればいいのに」
「残念ながら今回は任務ではないのです。篠宮嬢」
微苦笑に気付かぬ振りをして、安里が更に微笑を強かにする。勿論、どれをとっても言葉遊びだ。客人がこの部屋を訪れる理由も、言葉を濁す理由も、安里は理解している。
「じゃあ、あなた方も嗅ぎつけたってところかしらね。あの子のこと」
彼らしくも無く当惑する気配を隠しきれない男を、脇へ押し遣るようにしてドアを潜った。室内灯が白く眩しく、薄曇の空が正面の硝子サッシから窺える。僅かな太陽光を遮るカーテンはない。引越したばかりで手間を惜しんだ、というわけではなさそうだ。影を作るものがなければ、室内に他に影はない。それもまた、奇妙な点のひとつだった。
部屋はもぬけの殻だった。ベッドもテレビも、台所のフライパンに至るまで何一つ残っていない。かといって床に埃が積もっている訳でもなく、誰かが意図的に生活に必要なものを全て取り払ったように思えた。でなければ、まるですべて掻き消えてしまったような。
「唯一これが部屋に」
差し出されたのはSDカードが一枚。表面のラベルは剥がされたらしく、容量もメーカー名も書かれていない。
「中は確かめた?」
「いえ」
「安里さま」
呼び声に反応して振り向けば、携帯端末は今だ玄関に居た。ドアの直ぐ脇、郵便物を溜め込む為に付けた用のポッドを覗き込んでいる。さすがに来客の男はそこまでは確認していなかったらしい。
安里は無言のまま携帯端末の元へ歩み寄った。彼が見つけたのは、腕時計だった。ベルトの代わりに天然石をあしらったブレスレットチェーン。持ち上げれば装飾された石がきらりと光る。安里が左腕に着けているものと同型だった。
「……アサトのだね」
お揃いの、安里からの贈り物の時計。アサトがいつも身に着けていた時計だ。文字盤の上には薄く亀裂が入っており、今は短針すら動いていない。
それを左手に握りこんだまま、男から渡されたSDカードを手動式端末に差し込んでみる。自動でフォルダが形成され、中に唯一あったコンテンツの拡張子は音声ファイルを示している。
三人が見守る中、ファイルが起動される。内臓の音楽プレーヤーが再生ボタンに合わせられる。
僅か数十秒のファイルには、たった一言。
『好きだよ、あさと。いつまでも』
誰もが息を詰めた。一人が強く拳を握り、一人は反対に力を抜いた。もう一人は、何かを見出そうと目を細めている。
聞き覚えある少女の声だった。聞き間違える筈もない。それは間違いなくこの部屋の主であり三人が尋ねてきた相手、もしくは彼女の分身となるもの。鴇田朝斗本人の声に他ならなかった。
言葉はまるで、一生涯の想いを告げるように。
asa10_s at 13:43│Comments(0)│小説。創造と想像