November 22, 2010
[小説]Aurora syndrome 4/肆
「そういえば、サークルの活動のほうはどうなの」
「お陰様で円満です。今丁度次の脚本が上がったところで」
今週からは読み合せがあるのだと、自身の所属している演劇サークルについて嬉々と語る。どうやら歯車は巧くかち合っているらしい。主役を誰が演じるのかを聞くのは少し勇気が要った。しかし、訪ねてみればなんと言うこともない。
「実は決めかねているんですよ」
戸惑いを滲ませた笑みを浮かべて、手元のレモネードをくるくるとかき混ぜる。
「中々型にはまるひとがいなくて。オーディションもしたんですけど、しっくり来ないんですよね。今までこんなに配役が長引くことなんてなかったのに」
それはおそらく彼女がいない所為だ。思わず口をつきそうになって、留める。
彼女達のサークルのことは、多少なりとも見聞きしている。いつだって、配役から芝居を決めていくのが定例だと。とりわけ主役や準主役を演じられる人間がいない役目などを彼らが選ぶはずはないのだ。
それが、今回に至っては当てはまらない。理由は単純だ。いないのではなく、いなくなってしまったのだから。
「ねぇ、私達はどうして知り合いになったんだっけ?」
唐突に告げた安里の声に、紫乃が驚きと共に顔をあげる。
「それは、朝斗さんが以前に演劇をしていたからで」
「紫乃は、それを何処で聞いたの。私達は同じ大学の先輩後輩同士ではないよね?」
少女の瞳が、何かに気づいたように見開かれている。
いつしか長い沈黙が彼女達の間に落ちていた。腕時計はまだ十数分の経過しか示していなかったけれど、店の客も大半が入れ替わっていた。込み合っていた店内はもう空席が目立ち、禁煙席に至っては、安里達を含め買い物帰りの単独客が一人だけ。
緊張したように、テーブルの下で拳を握る。紫乃が答える。否、答えようと口を開いた。その口元からは、期待したどの言葉も発せられないまま。安里は尚も続ける。
「私と貴女の間に。私達の間に、誰かがいなかった?」
「それは……」
困惑と動揺と、不安の混じった瞳。何かを信じ、疑い、怯える色だ。恐らくそれは彼女が植え付けた仮初めで、真実は深層に眠っている。そう確信していた。少なくとも、安里自身が狂わされていなければ。
「――紫乃」
トーンの低い声で安里が呼びかける。
「本当に知らない? 心当たりはない? あなたの所の部長はどんなひと? いつも食堂で一緒にご飯を食べるのは誰? 文化祭で、姫君を演じたのは誰だった?」
安里の脳裏には、忘れられないひとりの少女の姿。それに連鎖するように、連れられて訪れた大学の食堂、舞台練習のホール。そこで一緒に笑っていた筈の、彼女達。
「少し背丈があって。髪は短めで、綺麗な少年じみた顔つきで。斜に構えているようで本当は真っ直ぐで。――だから、最後まで付き合わなきゃいけないと勝手に思ってる」
一体この言葉達を誰に向かって語りかけているのか。目の前で揺らぐ彼女か、姿を見せない彼女か、それとも。安里が穏やかに笑う。少女が、ゆるりと顔を上げる。
「さっきの」
空想物書きは見逃さない。その眼差しに先刻とは異なる強さが隠れていることを。
「すみません。さっきの名前、もう一度教えてくれますか」
その声は、静かに。
「鴇田だよ。紫乃ちゃん。鴇田、」
そして思いを接ぐように。
「鴇田朝斗――」
懐かしさを混めて観月紫乃がその名前を呼ぶ。
ぽろりと、言葉の代わりに雫が目の端から落ちた。
「お陰様で円満です。今丁度次の脚本が上がったところで」
今週からは読み合せがあるのだと、自身の所属している演劇サークルについて嬉々と語る。どうやら歯車は巧くかち合っているらしい。主役を誰が演じるのかを聞くのは少し勇気が要った。しかし、訪ねてみればなんと言うこともない。
「実は決めかねているんですよ」
戸惑いを滲ませた笑みを浮かべて、手元のレモネードをくるくるとかき混ぜる。
「中々型にはまるひとがいなくて。オーディションもしたんですけど、しっくり来ないんですよね。今までこんなに配役が長引くことなんてなかったのに」
それはおそらく彼女がいない所為だ。思わず口をつきそうになって、留める。
彼女達のサークルのことは、多少なりとも見聞きしている。いつだって、配役から芝居を決めていくのが定例だと。とりわけ主役や準主役を演じられる人間がいない役目などを彼らが選ぶはずはないのだ。
それが、今回に至っては当てはまらない。理由は単純だ。いないのではなく、いなくなってしまったのだから。
「ねぇ、私達はどうして知り合いになったんだっけ?」
唐突に告げた安里の声に、紫乃が驚きと共に顔をあげる。
「それは、朝斗さんが以前に演劇をしていたからで」
「紫乃は、それを何処で聞いたの。私達は同じ大学の先輩後輩同士ではないよね?」
少女の瞳が、何かに気づいたように見開かれている。
いつしか長い沈黙が彼女達の間に落ちていた。腕時計はまだ十数分の経過しか示していなかったけれど、店の客も大半が入れ替わっていた。込み合っていた店内はもう空席が目立ち、禁煙席に至っては、安里達を含め買い物帰りの単独客が一人だけ。
緊張したように、テーブルの下で拳を握る。紫乃が答える。否、答えようと口を開いた。その口元からは、期待したどの言葉も発せられないまま。安里は尚も続ける。
「私と貴女の間に。私達の間に、誰かがいなかった?」
「それは……」
困惑と動揺と、不安の混じった瞳。何かを信じ、疑い、怯える色だ。恐らくそれは彼女が植え付けた仮初めで、真実は深層に眠っている。そう確信していた。少なくとも、安里自身が狂わされていなければ。
「――紫乃」
トーンの低い声で安里が呼びかける。
「本当に知らない? 心当たりはない? あなたの所の部長はどんなひと? いつも食堂で一緒にご飯を食べるのは誰? 文化祭で、姫君を演じたのは誰だった?」
安里の脳裏には、忘れられないひとりの少女の姿。それに連鎖するように、連れられて訪れた大学の食堂、舞台練習のホール。そこで一緒に笑っていた筈の、彼女達。
「少し背丈があって。髪は短めで、綺麗な少年じみた顔つきで。斜に構えているようで本当は真っ直ぐで。――だから、最後まで付き合わなきゃいけないと勝手に思ってる」
一体この言葉達を誰に向かって語りかけているのか。目の前で揺らぐ彼女か、姿を見せない彼女か、それとも。安里が穏やかに笑う。少女が、ゆるりと顔を上げる。
「さっきの」
空想物書きは見逃さない。その眼差しに先刻とは異なる強さが隠れていることを。
「すみません。さっきの名前、もう一度教えてくれますか」
その声は、静かに。
「鴇田だよ。紫乃ちゃん。鴇田、」
そして思いを接ぐように。
「鴇田朝斗――」
懐かしさを混めて観月紫乃がその名前を呼ぶ。
ぽろりと、言葉の代わりに雫が目の端から落ちた。
asa10_s at 22:33│Comments(0)│小説。創造と想像