August 03, 2009
湖面漂う水草のように 下[小説]
どれくらい歩き回っただろう。
南北に伸びる馬場を埋め尽くす白いテント。その合間を縫うように、有嶋玲は新しい一冊との出会いを求めて縦横無尽に巡った。時折美味しそうな芳香に心奪われながら。
あんなに忙しなかった蝉時雨がいつの間にかひぐらしの声に変わっている。黄昏が近いのかもしれない。
途中、柴犬を連れた少女や褌姿の男性たちと擦れ違ったりした。やはり何か催しものがあるらしい。朱塗りの鎧の一団の行き先も気になるところだ。
それと、少女と柴犬と共に歩いていたメイドさんと優雅な笑みの女性との会話も気になるところだ。
「純然たる趣味なのですよ」
その言葉が声が、何故か魔力を持ったように心に留まって離れない。
ポケットの中で携帯電話が震える。取り出して確認すると、発信元はやはりあの人だった。
「もしもし、先輩?」
受話口を耳に当てる。久々に聞く面倒そうな眠たそうな声。変わらないなと思うそれだけで、なんだか口元が綻んでしまう。聞いてるのかと問われて、見えるはずもないのに思わず背筋を正してみる。
「分かってますよ。明日の10時に京都駅ですよね? アキさんにもユーイチ先輩にも、楽しみにしてますって伝えてください」
空がふいに暗くなったと思うや否や、大地を叩くような雨が降り始める。
榎の葉を弾く雫。鋭い空からの視線。強く強く、微睡んだ午後の空気を起こすように。静やかだった喧騒が打ち消され、ひんやりと冷えていく。
ばたばたばたばた。
陽炎の代わりに水煙があがる。
玲は慌てて足を早めた。自分が濡れるのは多少構わない。けれど、折角捕まえた宝物を濡らしてしまうのは嫌だった。
紙袋を抱えて、魚たちの慌てふためく水底を急ぐ。
早く水草の下へ入らなくちゃ。
あの店は、未だ開いているだろうか。
そうしてぱたぱたと、あの捻れた言霊の店を目指したのだった。
雨が降る。
夕暮れの手前の刻限に、清涼を呼び込む雨が降る。
広がるのは雨の匂い。湿った土と冷えた風と、やわらかな緑の匂いだった。
「良い天気ですね」
雨に負けじと涼やかな音を奏でる風鈴に耳を傾けながら、朝斗はのんびりと空を見上げる。
藍鼠と白花と、浅縹の溶け合った色。するすると逃げていく重たげな積雲。
降っては止み、止んでは降って。まるで切り取られた世界の中に居るような。
「アサト、なにしてる。本、濡れてしまう」
「大丈夫ですよ。通り雨だから、すぐに止んでしまいます」
足元でうにゃうにゃしている猫二匹にちょっかいをかけつつ、やはり猫はいい、猫好きな人に悪い人はいない、多分。と裏付けのない持論を固くした。
はたりはたりと、屋根の端から雫が降りる。それは途切れることなく、まるで時を刻んでいるように。
息を吐く。そうして待ち焦がれる。軒先に立つ紬姿の少女と共に、斑色の明ける瞬間を。
この雨が止んで夕闇が来たら、戦が始まる頃合いだろう。それまではもう少し、水面の浮草の如く漂わせて貰おう。
結局のところ、浮草は浮草で自由気ままに楽しんでいたりするのだ。
同じ魚なら泳がにゃ損々。
同じ草でも、楽しんだもの勝ちなのである。
「全ては、純然たる趣味ゆえなのです」
夕立に掻き消えるように、泡沫の夢を憶えては小さく囁いた。
『深き水底』の店主視点として、作品を一つ書かせていただきました。
様々な愛の形飛び交う、納涼古本まつりの総ては混沌魔王の彗星舎にて。
補足:有嶋玲のこと『シフト』
南北に伸びる馬場を埋め尽くす白いテント。その合間を縫うように、有嶋玲は新しい一冊との出会いを求めて縦横無尽に巡った。時折美味しそうな芳香に心奪われながら。
あんなに忙しなかった蝉時雨がいつの間にかひぐらしの声に変わっている。黄昏が近いのかもしれない。
途中、柴犬を連れた少女や褌姿の男性たちと擦れ違ったりした。やはり何か催しものがあるらしい。朱塗りの鎧の一団の行き先も気になるところだ。
それと、少女と柴犬と共に歩いていたメイドさんと優雅な笑みの女性との会話も気になるところだ。
「純然たる趣味なのですよ」
その言葉が声が、何故か魔力を持ったように心に留まって離れない。
ポケットの中で携帯電話が震える。取り出して確認すると、発信元はやはりあの人だった。
「もしもし、先輩?」
受話口を耳に当てる。久々に聞く面倒そうな眠たそうな声。変わらないなと思うそれだけで、なんだか口元が綻んでしまう。聞いてるのかと問われて、見えるはずもないのに思わず背筋を正してみる。
「分かってますよ。明日の10時に京都駅ですよね? アキさんにもユーイチ先輩にも、楽しみにしてますって伝えてください」
空がふいに暗くなったと思うや否や、大地を叩くような雨が降り始める。
榎の葉を弾く雫。鋭い空からの視線。強く強く、微睡んだ午後の空気を起こすように。静やかだった喧騒が打ち消され、ひんやりと冷えていく。
ばたばたばたばた。
陽炎の代わりに水煙があがる。
玲は慌てて足を早めた。自分が濡れるのは多少構わない。けれど、折角捕まえた宝物を濡らしてしまうのは嫌だった。
紙袋を抱えて、魚たちの慌てふためく水底を急ぐ。
早く水草の下へ入らなくちゃ。
あの店は、未だ開いているだろうか。
そうしてぱたぱたと、あの捻れた言霊の店を目指したのだった。
雨が降る。
夕暮れの手前の刻限に、清涼を呼び込む雨が降る。
広がるのは雨の匂い。湿った土と冷えた風と、やわらかな緑の匂いだった。
「良い天気ですね」
雨に負けじと涼やかな音を奏でる風鈴に耳を傾けながら、朝斗はのんびりと空を見上げる。
藍鼠と白花と、浅縹の溶け合った色。するすると逃げていく重たげな積雲。
降っては止み、止んでは降って。まるで切り取られた世界の中に居るような。
「アサト、なにしてる。本、濡れてしまう」
「大丈夫ですよ。通り雨だから、すぐに止んでしまいます」
足元でうにゃうにゃしている猫二匹にちょっかいをかけつつ、やはり猫はいい、猫好きな人に悪い人はいない、多分。と裏付けのない持論を固くした。
はたりはたりと、屋根の端から雫が降りる。それは途切れることなく、まるで時を刻んでいるように。
息を吐く。そうして待ち焦がれる。軒先に立つ紬姿の少女と共に、斑色の明ける瞬間を。
この雨が止んで夕闇が来たら、戦が始まる頃合いだろう。それまではもう少し、水面の浮草の如く漂わせて貰おう。
結局のところ、浮草は浮草で自由気ままに楽しんでいたりするのだ。
同じ魚なら泳がにゃ損々。
同じ草でも、楽しんだもの勝ちなのである。
風を送りて 陰を作りて
かれらと夢を味わうために
湖面漂う水草のように
かれらと夢を味わうために
湖面漂う水草のように
「全ては、純然たる趣味ゆえなのです」
夕立に掻き消えるように、泡沫の夢を憶えては小さく囁いた。
『深き水底』の店主視点として、作品を一つ書かせていただきました。
様々な愛の形飛び交う、納涼古本まつりの総ては混沌魔王の彗星舎にて。
補足:有嶋玲のこと『シフト』
asa10_s at 23:01│Comments(4)│小説。創造と想像
この記事へのコメント
1. Posted by 輪音 August 05, 2009 01:33
お疲れ様でした。
中編ではひいひいのたうち廻らせていただきました。
お礼に会津兼定二尺三寸八分は進呈させていただきます。
衣装と共に。
年末にも活躍していただかないと……。
え?
いえ、なんでもありません。
独り言です、ただの。
京都はいいですよ。
鍵善は太鼓判を押しておきます。
御所近くにある虎屋黒川のくずきりも美味しいです。
錦市場も忘れてはいけません。
市場近くにある洋菓子屋さんのオ・グルニエ・ドールもいいです。
すべては純然たる趣味ゆえに。
力作をありがとうございました。
中編ではひいひいのたうち廻らせていただきました。
お礼に会津兼定二尺三寸八分は進呈させていただきます。
衣装と共に。
年末にも活躍していただかないと……。
え?
いえ、なんでもありません。
独り言です、ただの。
京都はいいですよ。
鍵善は太鼓判を押しておきます。
御所近くにある虎屋黒川のくずきりも美味しいです。
錦市場も忘れてはいけません。
市場近くにある洋菓子屋さんのオ・グルニエ・ドールもいいです。
すべては純然たる趣味ゆえに。
力作をありがとうございました。
2. Posted by 朝斗 August 06, 2009 01:40
輪音さん
今回も楽しく参加(と執筆)させていただきました。
2話は『奥州』『派手な格好』と聞いて陣羽織しか出てこなかったのが運のつきでした。
キーボードを叩く手がうなりました。
鍵善のくずきりは美味しゅうございました。
虎屋黒川は行ったことがないので是非いつか行ってみたいです。
年末ですか?
年末…
実は某イベントには一度も行ったことのない人間だったりするので、果たして上手く立ち回れるかどうか。
どうぞ、お手柔らかにお願いいたします、混沌魔王様。
今回も楽しく参加(と執筆)させていただきました。
2話は『奥州』『派手な格好』と聞いて陣羽織しか出てこなかったのが運のつきでした。
キーボードを叩く手がうなりました。
鍵善のくずきりは美味しゅうございました。
虎屋黒川は行ったことがないので是非いつか行ってみたいです。
年末ですか?
年末…
実は某イベントには一度も行ったことのない人間だったりするので、果たして上手く立ち回れるかどうか。
どうぞ、お手柔らかにお願いいたします、混沌魔王様。
3. Posted by ハムにココロ September 22, 2009 00:43
お久しぶりです。
随分前になりますけれど、古本まつり、お疲れ様でした。
楽しく読ませて頂きました。
アラフォーのくだりなどは携帯の画面見て吹き出してしまってました。
あ、肉体改造は本当にやめた方がいいです(笑)
私の方の執筆の際、こちらのお話をかなり参考にさせて頂きました。
その件で、お願いがあります。
こちらの文章(台詞)の引用をさせて頂きたいのです。
[湖面漂う水草のように 上]より、
「さて、ココロちゃん。そろそろ混沌魔王様のおいでになる時間だよ」
「私もたまには、見た目から変えてもらおうかなー」
「やめておく。それだけは、オススメできない。ゼッタイ」
この2ヶ所です。
申し訳ありません。
宜しくお願い致します。
随分前になりますけれど、古本まつり、お疲れ様でした。
楽しく読ませて頂きました。
アラフォーのくだりなどは携帯の画面見て吹き出してしまってました。
あ、肉体改造は本当にやめた方がいいです(笑)
私の方の執筆の際、こちらのお話をかなり参考にさせて頂きました。
その件で、お願いがあります。
こちらの文章(台詞)の引用をさせて頂きたいのです。
[湖面漂う水草のように 上]より、
「さて、ココロちゃん。そろそろ混沌魔王様のおいでになる時間だよ」
「私もたまには、見た目から変えてもらおうかなー」
「やめておく。それだけは、オススメできない。ゼッタイ」
この2ヶ所です。
申し訳ありません。
宜しくお願い致します。
4. Posted by 朝斗 September 22, 2009 11:37
ココロさん
お久しぶりです。
その節はお世話になりました。本家古本まつりでのアラフォーを目の当たりにした際、これは全力で乗っからないとと張り切った結果です(笑)
引用の件ですが、勿論OKです。わざわざの報告ありがとうございます。むしろこちらこそ好き勝手書いてすみません!
それでは、ハムに式古本まつり楽しみにしていますので。
お久しぶりです。
その節はお世話になりました。本家古本まつりでのアラフォーを目の当たりにした際、これは全力で乗っからないとと張り切った結果です(笑)
引用の件ですが、勿論OKです。わざわざの報告ありがとうございます。むしろこちらこそ好き勝手書いてすみません!
それでは、ハムに式古本まつり楽しみにしていますので。